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プロフィール写真

​プロフィール

出身地:埼玉県

居住地:埼玉県

学歴 :城西大学 理学部 化学科卒業

職歴 :新報国製鉄㈱ 分析課

    ㈱環境テクノ 水質分析G

    日本化成㈱ 関東工場研究科

    ㈱井上工業(左官工事業)

    社会保険労務士法人Fiori

    埼玉南社会保険労務士法人

資格 :社会保険労務士(登録番号:第11230079号)

    環境計量士(濃度関係)(登録番号:第4590号)

    公害防止管理者(水質一種)

​    毒劇物取扱責任者

趣味 :ゴルフ

​    料理

​    犬好き(19歳4か月のワンコ:昨日永眠致しました)

ごあいさつ

 私の話をする前に私の人生の教訓となった叔父の話を少しお話しさせてください。

 私は小学生のころ、両親は共働きで毎日忙しく働いておりましたが、夏休みの間の食事などの面倒を見る時間が取れずに毎年夏休み期間中は叔父のところに預けられていました。

 叔父はコンビニの半分程度の広さの酒屋を営んでおり、私が預けられているときには「店にある食べたいものは持ってきて食べていいよ。」と言ってくれたり、毎日朝4時に起きてカブトムシ取に一緒に行ってくれたり、近所の方が困っているときは率先して助けるような優しい人でした。

 毎年カブトムシを取りに行く場所が変わるので、「何で去年いった場所じゃダメなの?」と聞いたことがありました。叔父は、その場所はカラスが大量発生していてことはカブトムシは取れないと言っていました。

 また、叔父さんの青色の古い仕入用の軽トラックが壊れたときには近所の農家の方が快く軽トラックを貸してくれたりしたことを今でも覚えています。

 これは仕事においても同じで、きちんと準備しておくかどうかで失敗か成功かが決まります。また、人は一人では生きていけない、皆、人に助けられて生きている。仕事においても助け合いができないと成功できないと、叔父が教えてくれた教訓が私という人間を育て、皆様との仕事をするうえでの指針となっています。

 

 学歴をご覧いただいたように元々は理系出身です。主に鉄鋼分析と環境分析を手掛けておりました。

その頃は業務に邁進しており、労働基準法や労働安全衛生法に関しては全くの無知でした。

 そんな私がなぜ、社会保険労務士となり独立開業したのかをお話いたします。

 ひょんなことから建築業界に足を踏み入れましたが、私が入社してまず思ったことが「失敗したな」という事です。

入社当初に言われたことが、「うちの売上は8億円無いぐらいだが5億円の借金がある!!」という事でした。

 もともとその会社は私のお客様でしたがその会社の社長が私をスカウトしてくれたのです。

 なぜ!?私なのかと尋ねたところ、「お前は他の営業とは違う。お前はうちに必要ないものは売り込んでこなかっただろ。そんな営業はお前だけだった。お前ならうちの現状を理解して、うちの為になることをしてくれると思ったんだ。」と打ち明けてくれました。

 私は驚くとともに嬉しかったのを今でも覚えています。

 そこからいろいろ調べた結果、5億5千万円以上の負債を抱えていること、従業員100人のうち65歳以上が70人を超えていることが分かりました。「とんでもない会社に入社してしまった!!」と思いましたが、社長には恩があり、何としても期待に応えようと考え直し、早急に対策を打つべく関連する本やネット情報等を読み漁りました。

 採用経験もなく、経営経験もない中でどうすれば借金を返済でき若返りも図ることができるかを寝る間も惜しんで思案しました。そんな時、叔父の教訓を思い出しました。私が社長に助けてもらってようにこの会社を皆に助けてもらえるようにしていくこと。そのためには助けたい(一緒に仕事をしたい)と思わせる必要があると。その観点で様々な勉強をした結果、ある一つの方法を思いつきました。

 それは...

 他にはない会社の強みを徹底的に探しました。調査した結果、職人数を100名規模で抱えている左官屋は都内でも有数で、繁忙期に人員不足をしている左官屋がほとんどだという事を!!

 現場では、前作業が遅れるとその次工程にしわ寄せが行き、作業日数が極端に減少します。その際にはマンパワーで乗り切らなくてはいけないのですが、人数がいない会社は「応援をもらう」・「残業する」・「日曜日に人数を集める」といったような方法でカバーしようとしますが、間に合わない時があるのです。その時の現場所長は本当に頭を抱えています。

 

 そこに目を付けたのです。「当社は100人いるのでどんな場合でも工期を間に合わせることが出来る」という強みを生かし、営業をかけた結果、NET金額を下げずに契約が出来るようになりました。

 おかげさまで徐々に利益率が上昇しだし、急激に負債額が減少していき、完済できました。

 負債が減少するとともに次に若返りを図るために人事部を発足したのですが、職人の会社ですから一般の求人では集まらないと判断をして、ターゲットを工業高校に絞りました。どうしても人手が不足していたので人事部員を募集することにしましたが求人サイトに募集をかけても全く応募が来ませんでした。

 今度は求人に関することで「叔父の教訓」を生かし、その会社で働きたいと思わせるようにしたことで良い人を採用できました。

また、その良い方法により採用に欠ける費用と時間を大幅に短縮でき、借金を抱えている会社でこれは大きかったと思っています。

​ その後、工業高校からの新入社員が毎年入ってくれることになりましたが、今度は採用後の体系的教育をどう行っていくのか?その後の昇給はどうしていくのか?の教育訓練体制と考課査定基準を設ける必要があったのです。

​ 課題が山積みでしたが、これも借金完済の時と求人の時に得た知識で何とか乗り切りましたが、その後社員から「ハラスメント」問題が出てきたのには驚きました。

 

 「高卒の女性職人が親方からセクハラを受けた」という話でした。この社員は「ユニオン」に加入して団体交渉を求めてきましたが社労士の先生と共に調査をして対処をした結果、訴えてきた社員の「嘘」だという事が分かり、労基署への呼び出しも調査結果のファイル3冊と共に労基署へ訪問して内容説明したところ、「これは御社には非がない」と完全勝利を勝ち取りました。

 あとで周りから聞いたところ、その社員は「お金が欲しい」と良く口にしていたという話を聞きました。お金目当てで「セクハラ」をでっち上げて慰謝料の請求を行う目的であったと推察しました。

 私は悲しくなりました。「さんざん従業員の不利益にならないように最大限の労働条件となるように社内で話し合い、決めたことばかりで、同業他社よりも条件は良かったはずでしたがこのような裏切りに会ってしまいました」。その理由が分からなく、どうすれば良いかに頭を抱え、中小企業大学校のセミナーに参加し、その時の社労士の先生に様々なアドバイスをいただき、やはりプロは違うと思い、それをきっかけに「労働に関する専門家(社会保険労務士)になろう」と思いました。

 その後、社会保険労務士事務所に転職をしましたが、今までの人事経験があったことから相談業務等は問題なく、手続き実務と試験勉強に大変苦しめられました。

 苦しんだかいあって、3年目には社労士の部下3名を含む社員全てのマネージメントを行い、資格がない中で会社全体の業務の管理をしておりました。その中で様々な経営者の方からの悩み相談(通算1,000件以上)が「人手不足」ではなく「モンスター社員をどう扱うか」と「思ったように働かせるにはどうすれば良いか」と「事業継承者がいないので畳もうと思う」でした。

 もちろん、仲良くなった経営者の方は私の経歴を知っているので「どうやって求人をかけてた?」や「どうすれば売り上げが安定する?」や「なんで売れないんだろう?」などの相談も多くいただいてました。

 今までの知識でアドバイスをしておりましたが皆様には大変好評をいただいておりました。

 そんな中、令和5年に手続き業務ソフトウェアが「ランサムウエア攻撃」により1か月ほど使用できなくなり、ちょうど労働保険料の確定申告時期でしたので、手続きが間に合わなくなる可能性がありました。顧問先様に「当社の事情で労働保険料の払い込みが間に合わなくなるというご迷惑をおかけするわけにはいかない!!」という思いで何とか間に合わせることはできましたが、私はそのあと倒れて病院で「過労」と診断を受けました。

 過労で倒れたことが私の人生の転機となったのです。いつ何時このようなことがあるかもわからない中、自分が社労士を目指した目的に向かえないまま人生を終わるわけにはいかないと思い、ちょうど資格取得もできたこともあって独立を決断いたしました。

 今では裏切られた当時の「社員の為に尽くし、社員が満足している」という私の認識が甘かったという事が分かっております。その当時の対応では「ただの甘やかしであり、それだけでは社員はどんどんわがままになってしまう!!」という事です。

 私は同じような経験をして悩んでおられる経営者の方の支えが出来ればと考えております。

 できれば私のような経験をしないことが一番ですが、経験をされた方で対処方法が分からないや今後に備えて何とか改善したいという経営者様は大歓迎です。

​ 私の力をお使いください。

 ちょっと長くなりましたが今までの人生で学んできたことを書かせて頂き、ごあいさつとさせていただきます。

 

表 風口 豊伸

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